月刊まち・コミ 98.9月号

震災・まち・ひと


ー第9回ー 住まい再建へのレシピD

《「住まい」とは何だろう》A

〜豊かな居住環境を生み出すための模索・海外編〜


 

●「日本の住まいは『ウサギ小屋』」

 そんな言葉が現れたのはいつ頃からでしょうか。
 今さら言うまでもなく、日本の都市における住宅事情はよいとは言い難く、良好な住宅を求めようとしたら、場所が限られていたり、莫大な経費がかかったりします。裏を返せば質が落ちても安い住宅でよければ長田のような旧市街地には住むことができるわけで、それが「インナーシティ化」を進めていった一因とも言えます。
 実は海の向こうの国々でも似たような状況が出現しており、その改善の為に様々な模索がなされております。今回は簡単ではありますが取り組みの実例をご紹介します(なお、今回はすべて「NPO教書」《編著 財団法人ハウジングアンドコミュニティ財団 発行 風土社 》からの引用です!)。 


「信じがたい荒廃」の中からの出発

〜ニューヨーク サウス・ブロンクス〜

●政策の失敗が荒廃を生んだ●
アメリカでは第二次大戦以後、膨大な道路網整備に伴い、急速に形成された郊外住宅地へ白人居住者が大量に流出し、さらには郊外ショッピングセンターの本格的登場・都市内工業の郊外化・オフィスの郊外立地等により、既成市街地の空洞化が進行した。
ニューヨーク市にある、世界的にも有名な「荒廃した地区」、サウスブロンクス地区も、1940年代までは中産階級の清潔で落ち着いた集合住宅市街地であった。それが1950年代から60年代にかけて、開発・整備による既存コミュニティの破壊と歴史的環境資源の喪失が進行する(しかしそれはアメリカの諸都市も同様であったが)。
そして60年代には衰退と荒廃に歯止めをかける為(と称する)の連邦政府の都市改善プログラムとして、(結局は実現しなかった)新しい再開発プロジェクトを進めるため、さらに広大な土地のコミュニティ全体が追い出され、空き地となった。
●公的住宅開発・産業構造の変動・衰退地域からの撤収・民間賃貸の放棄…●
68年には、ブロンクス北東の角に人口55,000人を収容できる大規模住宅開発が行われるが、それはブロンクスの既成居住地のさらなる空洞化を招いた。効率優先による「大規模住宅開発」の結果は、結局地域の衰退に複雑な要因を加える。
60〜80年代にかけての、製造業から金融・保険・不動産・サービス業への産業構造のシフトは市の財政・土地利用に深刻な影響を与え、貧困層の増加をもたらす。
70年代中頃には「計画的縮小」と呼ばれる政策が登場。これは衰退地域には公共投資を行わず、住民は活力を保つ他地域に移住させるというもので、資金の流入は止められ、荒廃に拍車がかかる。
貧困層の拡大は地域のアパート経営を圧迫し悪化させ、荒廃は不動産価値を下げ、アパート売却もままならない家主は放火のプロに依頼し、自らアパートを焼き、火災保険を手にして不動産を放棄し土地を離れた。結果毎晩のように火災が発生し、住民はいつ自分の家が火災にあうかという不安の中、移住できるものは移住していく。
こうして、サウス・ブロンクスは、アメリカの「70年代の絶望の伝説的象徴」といわれるようになった。 

荒廃からの再生に取り組むコミュニティの試み

〜CDC(コミュニティ開発法人)の取り組み〜

●踏みとどまった住民の決意●
自治体行政の手によって再生を頼ることが非現実的なことがわかったなか、サウス・ブロンクスでは、結局最後まで踏みとどまった住民たちが自らの地区の再生に自ら取り組む以外に選択がなかった。そして追いつめられた住民のぎりぎりの決意が、驚くべき成果を獲得していくことになる。鍵は、コミュニティが主体となって住民個々では不可能な生活の崩壊からの再起へと取り組むことであった。 
●CDCとしての取り組み●
CDC(Community based Development Corporation )とは、都市・農村いずれであれ、衰退し、荒廃するコミュニティの再生を目的として、そのコミュニティの中で組織され、そのコミュニティのために中心となって活動している住民主導の民間組織であり、その大部分がNPOである。アメリカには四半世紀前から存在し、80年代半ばの時点で3,000〜5,000ほどの組織が活動している。
サウス・ブロンクスでも、きっかけは誰か一人・あるいはわずかな数人の住民の発意から始まり、これが地区住民と徐々に結びあい、先行するCDC等の支援を受け、小さな、しかし重要な成果をあげ、やがて全体として驚くほどの結果を生んでいった。
ブロンクスで現在も活躍しているCDCのひとつを簡単に紹介する。
●絶望的状況に立ち向かう命知らずの者ども●
 ミッドブロンクス・デスペラドス・コミュニティ住宅法人(MBD)。
サウスブロンクスで1974年に設立されたCDC。低所得者向けの住宅供給を中心に雇用促進、社会サービス(福祉・麻薬治療・教育等)、経済開発(地区内の小企業の企業支援、事業拡大支援)など地域再生に総合的に取り組む。「アメリカで最も荒廃している地区」を拠点に活動を続け、今日ではCDCのモデルのひとつに数えられている。
MBDは74年にボランティア連合として結成された。それは放火の圧倒的な発生を止めること、そしてコミュニティの再生に挑戦しようと心に決めた人々によるものであった。
結成以後様々な機関と連携をとり関係者の信頼と尊敬を築き上げ社会サービスを復活させるとともに、1,800戸を越える住宅の修復と建設に、スポンサーあるいはディベロッパーとして取り組んできている。
専従31名、パート専従1名、ボランティア1名(92年5月現在)。デスペラドスには「地域の絶望的状況に立ち向かう命知らずの者ども」という意味が込められている。

■厳しい社会状況の中での居住環境づくり■
ブロンクスの荒廃、そしてCDCの活躍…非常に簡単ではありましたがご紹介させていただきました(詳細はぜひ「NPO教書」をご覧ください!)。アメリカの話とはいえ、被災地や今の日本の現状と重なるテーマが多々あるように思えます。みなさんはいかがお感じでしょうか?「住まい」をめぐる様々な背景とそれに対する取り組み、次回は国内編です。(小野)


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