月刊まち・コミ98.9月号

焼け跡のくすぶり
〜十一回〜


【神戸沖空港のこと】



 今、神戸は空港問題で盛り上がっている。神戸のような大都市で住民投票運動が行われること自体異例なことだが、震災のあとの住民として、「なぜ、今空港が必要なのか」というのが正直な疑問である。
空港問題は広い地域で考えないと失敗する。それは港湾を考えても理解できる。姫路から和歌山に至る海岸線は、競い合い、無秩序に嫌というほど、でこぼこに埋め立てられている。果たしてお互いに採算がとれるのか。そこにあるコンテナバースも、必要貨物量の何倍もあるのではないか。利用度が低ければ、勿論使用料に跳ね返る。神戸と大阪が貨物の奪い合いをしているのが現実だ。
当然、二期工事を控えた関空、そして伊丹、さらに神戸沖空港が共存できるのか。港湾と同じく綱引きはないのか。震災後の都市計画、インフラ整備を通じて見えてくるものは、これらを拵えるに当たり、どうしても必要な「人の心」といったものを置き去りにしているように思えてならない。世界に冠たる土木技術は認めるが、単に構造物を造るのみならず、造るに当たって、利便性のみで考えるのではなく、人間と自然にどう影響を及ぼし、プラスもマイナスも踏まえて、どう共生できるのかを考える必要がある。
震災は我々に何を教えてくれたのだろうか。家族を失い、愛する人を失い、親しい友人を失い、物を失い、家を失い、全部を失ってみて、非日常のどん底にあって、「生きていることは尊い、助け合えて良かった、人の心は本当は優しい」と喜びや希望を見つけた。人間の強さを見た。人のために自分が役立つと実感でき、充実感を得た。人々は安心を求め、信頼を求め、自分が納得できる生き方を望んでいる。今行われている開発行政は、何か「心」が貧しいと感じる。

兜コ庫商会 田中 保三

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