月刊まち・コミ98.10月号

焼け跡のくすぶり
〜十二回〜


  

【旧友がやって来た】

  震災直後に東京からやって来て、県立西宮病院で治療に当たって無念の思いで死亡診断書を書きまくったと云う敬愛して止まない友人が、この九月下旬に同級会でまた神戸にやってきた。
 彼は特殊救急を専門とする教官である。
 震災の年の二月初旬に再び被災地に足を入れた。JR鷹取駅から、焼土と化した鷹取地区を通り、崩壊したまちを板宿まで歩き、地下鉄に乗り、名谷で下車。その落差に愕然して我が家に着くなり何やこれは、同じ神戸市か“リュック満杯の救援物資が一度に重さを増して肩にかかって来たと云う。そしてクラッシュ症候群なるものを解いて聞かせて呉れた。
 当然の如く焼土のまちは眼に焼きついて離れない。が、このたびは三宮で下車。辺りを見廻しても殆ど震災を物語るものはない。旧市役所庁舎は、取り壊して建て替えたのかと問う程、都心部の傷跡は修復された。少なくとも象徴として旧市庁舎は残しておくべきだったナと語りながら鷹取周辺へ移動。高橋病院や、鷹取教会基地の話をしながら案内。外側の復旧ぶりに比べ中の空き地は目立つ。さらに板宿へ。当時リュックを担いで歩いた道を辿る。北へ東へ南へと。そして御蔵菅原へ。ここも歩き廻る。同様に一歩中へ入ると更地の多いのに驚き、建った家の簡易型なのにまた驚く。テレビの画面とは違う∞歩くことの大切さを痛感するな、これは∞でも東京では皆んなは忘却しとるで≠ニ。再開発や新都心の高層住宅の話をすると、何!それ住宅か?それは違うなー!≠ニ。どうして高層ばかり作りたがるのだろうか。人間の住まう所を医師の良心として問う。
 そして帰る前に残していったつぶやきに、機会の平等と結果の平等を混同したらあかん、どうしても弱者は出る。どう、どの程度、安心を得るかやろうな≠ニ。

兜コ庫商会 田中 保三

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